「恋は雨上がりのように」は批判が多かったようで悲しい

こんにちは。ダディです。

恋は雨上がりのように、という漫画があります。

アニメにも映画にもなっていますよね。

僕は以前、話題になった時に1〜4巻を購入して続きを楽しみにしていたのですが。

5巻以降を買っていませんでした。

そんな今日、5〜10巻をブックオフで購入。

今、読み終わりました。

僕は、この作品が凄く好きです。

主人公がふと眺めた景色を描写するコマは季節を帯び、僅かずつに移ろう心情を表現するあたり。

若くして夢を諦めてしまった時、不意の魅力に恋を感じるあたり。(←コレは個人的にヤバい)

1巻でデジャブと表現したシーンを、10巻でデジャブじゃないと確信させてくれるあたり。

ユイちゃんが吉沢に告白したが、吉沢がしっかり断るところを4コマの絵だけで表現するあたり。

まぁ、一番の魅力は主人公が可愛い事に尽きますね。

美人で、純粋で、真っ直ぐ。

そしてエピローグの美しさ。

僕は頭が悪いので、適切な表現が出来ないんでね。

誰かが言語化しているだろうと思い、ネットで調べたのですが。

「作者逃亡」とか「打ち切りになった」的な検索結果が多い事に、驚きました。

この表現の美しさを「打ち切りになったから適当に終わらせた」的な内容で受け取る人がいるなんて。

とても悲しい気持ちになりました。

僕は店長が最期に手紙を読まないままにしておく事や、橘さんが日傘を使っている事。

1つの恋の終わりをここまで美しく表現したという事は、最早奇跡だと思います。

でも、この表現が何故に美しいかと聞かれると、言語化出来ません。

そうだ。

先日、You Tubeで「言葉とは何か、文学とは何か。結論は『岡田斗司夫が必要』」と言っていた気がします。

僕のこの感動は、どういうものなのか。

何故、僕はこの作品で感動したのか。

岡田斗司夫さんに聞いてこよう。

コメント

タイトルとURLをコピーしました