こんにちは。ダディです。
ディズニーピクサー最高傑作ではないでしょうか。
インサイド・ヘッドという映画が、先日CSでありましたので録画していたものを見たのです。
初見。感動のあまりに家族と見ていたのですが、僕だけ泣いていました。
妻は良く堪えたと思います。
数回見て「うわ、ヒデェ。」と思う事もありましたが、僕の感想をしたためます。
設定で感動間違いなし
まずはこの映画の設定。
1人の人格の頭の中に感情の5人が居て、感情が人格に対して行動を促す出力をする、というもの。
これは多くの方から「設定が勝ち」という感想が出ているようです。
確かに、このコンセプトで物語が進むという設定が素晴らしい。
主人公は11歳で引っ越した事が、本人にとっては大事件でしたっていうものです。
主人公の年齢で、微妙な成長や周囲への気遣い、心の中での葛藤や成長を描いたこの設定。
主人公のライリーは、とても健気で純粋です。
そして自分自身を含めて家族が大好きなんです。
ヨロコビに対する違和感
非常に押し付けがましく、厚かましい、鬱陶しい女という感じがします。
何をするにしても自分が1番。
「ライリーを幸せにするのは私よ。私にしか出来ないの。」的な。
そして自分の思い通りに相手を言いくるめて「ほら良い提案でしょう?」みたいな。
相手の主張を一切認めない。
自分以外の事はゴミ同然。
カナシミに対して「チョークで書いた円から出るな」という痛烈な排除を行います。
ヨロコビは、正義のリーダー的存在であり、弱者を虐げる奴という表現でした。
カナシミに対する違和感
引っ込み思案な癖に余計なことばっかりしてチームの足を引っ張る典型的なリストラ対象のカナシミ。
何故かコイツが触る全ての思い出が「悲しい思い出」に変わります。
おかげでライリーは「悲しい特別な思い出」を作ってしまいます。
その「悲しい特別な思い出」を特別な思い出保管庫に入れようとしたカナシミ。
それを捨てようとしたヨロコビも異常な行動だと思いますが、それを「ダメよ、特別な思い出よ!」と悲しい思い出を大切にしようとするカナシミが、そこはかとなくイラッとします。
コイツのせいで、ヨロコビとカナシミが感情の司令室から居なくなってしまうのです。
カナシミは、何をやらせてもダメな奴というものを表現しているようでした。
ビンボンに対する違和感
ライリーが幼い頃に空想のキャラクターを思い浮かべ、一緒に遊んでいたという設定。
実際の世界にビンボンのような異様なキャラクターと一緒に遊ぶことをイメージする子供が、どこにいると言うのでしょうか。
子供の頃に、そんな妙な空想をして11歳になるまで微妙に覚えているなんて事は、通常ありえませんよね。
ヨロコビとカナシミを危険に晒すし。
イマイチ、感情の回復に貢献していないような気がしました。
ムカムカが可愛い
なんとなく、理由は定かではありませんが、ムカムカが可愛い。
ビジュアルでしょうね。態度はイラッとしますけど。可愛いので許しちゃいますね。
THE単純のイカリ
ムカムカから上手に使われているところを見ると、可愛げもありますが。
ちょっと短絡的かなぁ、と。
まぁ、怒りの感情なんて短絡的だからこそ発生するという事を考慮すると、よく設定されているなぁと関心するばかりです。
ヨロコビが排除したほうが良かった感情、ビビリ
ビビリは人を笑わそうと思って「非現実的な提案」をするのでしょうか。
それともマイク・ワゾウスキやオラフと同じような芸風で観る人を笑わせたかったのしょうか。
コイツが存在するのであれば、オドロキとかも居て良かったんじゃないかと思います。
初回の感想
ただただ、感動。
途中にビンボンの自己犠牲によりヨロコビが復活。
ここからのヨロコビは少し変わった気がします。
カナシミを連れて司令室に。
僕の大好きなムカムカちゃんがイカリを軽くあしらって火を吹かせ、ヨロコビとカナシミは司令室内部に。
思いつきや閃きを電球として表現しているのか、電球を装着し家出を決行していたところに、カナシミが電球を外すという形で解除したのです。
そして、その際に出来た「特別な思い出」は、悲しみと喜びが入り交ざったものとなったのです。
1年ほど経過し、特別な思い出保管庫には色々な感情で出来た思い出があり、それに由来する性格の島も多数存在していました。
とっても素敵。
2〜3回見た感想
先述した違和感が露呈してきました。
ヨロコビの鬱陶しいこと。カナシミが何故、のぼせて楽しい思い出に触り悲しい思い出に変えたのか。
「もう思い出のゴミ捨て場にカナシミを捨てろ!」とテレビのヨロコビに言いました。
ヨロコビは返事もしません。
コイツは自分より身分が低いと感じた人間の意見なんか聞く気が無いんです。
チクショウめ。バカにしやがって。
昨日見た時に「感情の表現」に気づいた後からの感想
感じてしまった多くの違和感を払拭する事が出来る理論を考えました。
てっきり、感情の5人がレイリーに対して司令室から司令を送り、レイリーを操っているんだと思っていましたが。
まぁ、この設定からすると司令室からの一方通行の情報伝達だと思い込むことも無理はありません。
でも、おそらく情報伝達は一方通行では無く、感情を人格として見た時の表現ではないかと思うのです。
それは司令室の5人だけでなく、思い出の保管場所に居たボンビンも同じ。
全てがレイリーの感情や成長を表現するものなのではないかと。
1種類のみの感情で出来た特別な思い出が全てだった頃
レイリーは特にヨロコビの感情で出来た特別な思い出を大切に思っていたようです。
その思い出から本人の性格が出てきています。
でもこれは、幼い頃のものなのです。
少し大人に近づく頃に置き換わる事は必然なのでしょう。
レイリーの場合は、引っ越しによる心理的負担により性格や感情の一部が一時的に瓦解する事になりました。
でも、それはほんの一時。
その心理的負担を彼女なりに消化して、しっかり成長していきます。
自己紹介の場面でヨロコビとカナシミが消えた
楽しい思い出を語っていた自己紹介の場面。
ここでカナシミが余計なことをします。
楽しい思い出の話をしている時にカナシミが触れたのです。
楽しい思い出は悲しい思い出となってしまい、レイリーは楽しい思い出話をしている途中から、悲しい思い出話をするという変化が発生し、泣いてしまいました。
その時の感情の司令室ではカナシミを除く感情でその思い出を、思い出用映写機から取り外そうとしているのです。
悲しい特別な思い出が生成され、それを処分しようとするヨロコビ。
それを阻止しようとするカナシミ。
そして二人共、司令室から思い出の保管場所に投げ出されてしまうのです。
この場面をそれぞれの感情の人格からレイリーを操作しているという設定から見てしまうと。
「カナシミが余計なことした」
「悲しい特別な思い出を勝手に排除しようとするヨロコビは酷い」
「そもそも、その前にカナシミに円から出るなというヨロコビがマジ怖い」
という意見が出てしまうのは、非常にわかります。
でも、これが感情のみが一方的に本人を操作していることでは無いという事に気付くと、レイリーの心理描写として、これ程までに素晴らしい表現は無いと思います。
カナシミが触れると思い出が悲しいものになるという事
まずは何故カナシミが触れると、どの思い出も悲しい思い出になってしまうのか、ということです。
皆さんは、心の中で悲しみが溢れてしまった事はありませんか?
何を持ってしても、どんな事を考えようとも、全ての感情を悲しみが凌駕したことはありませんか?
僕は、何回かあります。
抑えられない悲しみが溢れて来るという事を知っています。
レイリーも、そんな気持ちだったんだと思います。
楽しい思い出も、思い出すと悲しくなってしまう。
彼女は引っ越しがキッカケで、そのようになったのです。
カナシミの余計な事は、誰にでも起こる気持ちの変化だと思ったのです。
円から出るなといったヨロコビの気持ち
これは「ヒデェ」と思いました。
で、円から出ない事を強要して自分は「仕事だから辛いわぁ」的なヨロコビの表現に怒りを覚える人も居たのではないでしょうか。
しかし、これもレイリーが頑張った証拠を表現したものだったんだろうと思うと腑に落ちました。
既にカナシミが思い出に触れると悲しい思い出に変化するというカナシミの暴走が始まっている事にレイリー本人が薄々気付いていたのでしょう。
だから、レイリーは悲しみの感情を閉じ込めて置こうとしたのではないでしょうか。
本当は引っ越しなんかしたくなかった。
前の学校で友達と変わらず過ごしたかった。
そういう想いを、心の奥に押し込めて、学校に行ったんだと思います。
ウザいくらいにテンションの高いヨロコビは、レイリーの空元気を表現したのではないでしょうか。
まだ11歳の子が家族の為に自分の気持ちを押し殺して明るく振る舞おうとするなんて。
ヨロコビのウザさは、レイリーの頑張り。
こう思うと、アコーディオンを掻き鳴らすヨロコビの動作も、涙無しでは見ることが出来ません。
ボンビンの消失
ヨロコビとカナシミを心から消してしまったレイリー。
ヨロコビはボンビンと一緒に思い出のゴミ捨て場に落ちてしまいました。
ヨロコビと共に記憶のごみ捨て場から脱出を試みますが、失敗を繰り返します。
最終的にロケットからボンビンが離脱しヨロコビ単体で脱出成功。
レイリーを幸せにしてねというセリフを残し、消失します。
自己犠牲の美しさに心を打たれるのは当然ですね。誰だって泣きますよね。
これもまた、レイリーの心の成長を表現するものだったとしたら。
ボンビンは幼さの象徴だと思います。
ヨロコビとカナシミを喪失して家出を行うのですが、ここでヨロコビを忘れそうになるんです。
同時に家出を実行する事で自身の幼さも心から消失するのです。
でも、幼さを消失した際にヨロコビとカナシミを喪失したように振る舞い、家出を実行してしまうこと自体が、悲しみを受け入れられないという幼さ故の思考と感情から発生したものだったんだと思います。
幼さの象徴消失を目の当たりにして、ヨロコビが悲しみを知るのです。
そこでカナシミも大切な感情だと知るのです。
ボンビンが消え行くとき、ヨロコビは泣くんです。涙を流しはしませんが、その目には涙が溢れています。
僕も小さい頃、そんな感じだった気がする。
悲しい事を受け入れられなかった気がします。
帰宅して
土壇場になって家出を中止して、家族のもとに帰ってレイリーは正直に自分の気持ちを打ち明けました。
これは聞き分けが良い、お利口さんな子供からすると、とても困難な事だったんだろうと思います。
子供が独りで抗えない現実に対しての不満を口にする事は良くない事だと考えて、一生懸命我慢していた。
この想いを知れば、普通の人ならその気持を受け入れますよね。
家族に正直な気持ちを打ち明けて、受け入れてもらえた時のレイリーの安堵の表情。
そして特別な思い出が悲しみと喜びが入り交じる形で生成されました。
この両親も素敵ですね。
僕だったら「そんなこと言ったってしょうがなかろうもん。」とイラッとしちゃうかも知れません。
相手の気持を受け止めるという事が大切だということを知りました。
最後に思ったこと
レイリーじゃなくて、ライリーだったわ。
いつの間に少女が冥王になってしまったのか。
書き直すのが面倒なので、このままにしておきます。
このような気持ちを受け止める事が大切だということを知ったのでね。
僕も成長していますね。
追記
ビンボンもボンビンになっとるやん。
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