こんにちは。ダディです。
ばあちゃんの葬儀は、教会で行われました。
お別れの棺にお花を供えるのが9:30くらいから始まるとの事で、9時過ぎにアパホテルを出発。
見事に忘れ物をしたようです。。。
昨日からあまり変わっていない、ばあちゃん。
92歳でした。
僕の母の母になります。
長女と次女と妻と僕で、棺にお花を入れました。
その後、僕は庭に出て、思い出の品を探しました。
長女は、ばあちゃんが育てていた花を摘んで持っていきました。
赤い実のなる植物は、現在実が付いていませんでした。
ですので、どくだみの葉を1枚、摘みました。
そして再び棺に横に行きまして。
長女は摘んだ花を入れました。
僕はどくだみの葉を耳の近くに置きました。
「これで化粧水を作って、キレイにしておきなさい。」と伝えました。
長女が何を思ったのか、突然言い出しました。
「おばあちゃん、化粧してるね。」と。
「そうねぇ。会いに来たときは、おばあちゃんはお化粧してなかったもんね。」と妻。
あぁ、そうよね。
化粧をした姿って、いつあったかしら。
僕の結婚式のときも、スッピンだったんじゃないかな?
そして、出棺。
各自移動して教会に集合。
教会の葬儀はコロナの影響で賛美歌等も中止となっていました。
お通夜のときの神父さんが、葬儀を行ってくださいました。
「あまり面識がない」的な事を通夜のときから仰っていましたが。
祖母の事をとてもよく理解してくださっていました。
身内から、明るく気さくだったと評される祖母ですが。
神父さんは「喜びの人」とおっしゃいました。
とてもピッタリな表現でした。
神父さんのお説法も、ありがたいものでした。
「なんとかは幸い」みたいな、普通は発生すると嫌なことに当たったのなら、あなたは幸せよ、的な。
それは天国に行くと報われるというのです。
これは、やはり今を生きる人の為に必要な考えですよ。
どんなに辛い事があっても、いつか報われるから頑張って生きろ。という事です。
「この教えの中に、美人な妻と結婚したとか、偉くなったとか、出世したとか、大金持ちになった、なんていう内容のものは無いんです。」と。
「目先の利益を求めても、幸福にはなれない」
そして、祖母が病気を患いながらも生きて来れたのは、周囲の親族の愛があったからこそだと。
仰るとおりでした。
僕達は祖母がもう長くないという事実を知らされ、しばらくして亡くなったという連絡を受けるだけだったのです。
ですが、祖母の長女である伯母さんや、長くないという知らせを受けて遠方から来た叔母たち。
亡くなるまで間、病院から「急変したから」という連絡が入ると病院に行き、小康状態になったので帰る。
そんな状況があったのです。
また、そうなる前から、病気が発覚して、通院、検査、入院等の手配をしてきた長女の伯母さんたち家族。
その前、記憶障害が出始めた頃から気付いていた伯母さんたち家族。
祖父が亡くなって、しばらくして2世帯住宅みたいにして同居していた伯母さんたち家族。
この家族の支えがあったからこそ、ばあちゃんは幸せだったんだと思いました。
従兄弟のたかし兄ちゃんが、とてもばあちゃん孝行をしてあげていました。
ばあちゃんは幸せだった。
やっぱり孫に孝行してもらうのが1番幸せですよ。多分。
そして神父さんは言いました。
「皆で祈りを捧げましょ〜。」と。
これは、唱和を促すつもりで、このような発音になっているんだとわかりました。
昨日の通夜で、なんか適当というか、やっつけ的に言っている気がしたのですが、違ったんですね。
申し訳ない。大変な勘違いでした。
不思議なことに僕は洗礼を受けており、クリスチャンネームもあります。
でも、みんなが一緒に唱えている言葉は知りません。
「あ、次にアーメンって言うんかな?」と思っても、違う言葉を言ったりするので黙っておくのが得策。
そんな事を思いながら、みんなが祈りの言葉を唱えている時。
無駄に連想ゲームを開始しました。
アーメン→ラーメン→素麺→ひやむぎ→うどん→そば→焼きそば
この焼きそばというフレーズが自分の中でツボに入ってしまいまして。
笑いをこらえる為に、奥歯を噛み締めていました。
そして思い出したのです。
ネットで見たと思うのですが。
カップ焼きそばは、カップじゃない。焼いてない。蕎麦じゃない。
僕の好きなカップ焼きそばは、本来どんな名前で販売されるべきなのだろう。
そんな事を考えていたら葬儀は終了しました。
火葬は、ばあちゃんの子どもたちとその配偶者までとの事。
孫である僕や従兄弟達は教会の駐車場で。
「どうしよっか。」みたいな感じでした。
僕は夕方から仕事があったので帰りました。
出来れば久しぶりに会う親戚たちと食事したりしたかったのですが。
なんせ長女の具合が悪くなってしまったようなので。
節約のため、下道で帰りましたとさ。
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